ICHIRYU

社名の「いち粒」は、どんな時代であれ一粒の良い種があれば、それを世界中に広めることができる、との意味がある「一粒万倍」の言葉から引用し社名としました。
ロゴの「越後農援隊」は、江戸幕末の混迷の時代に、世界を相手に商売を企て「海援隊」なる組織を創った、坂本竜馬の生き様に感銘を受け、海援隊ならぬ山地の農業を応援する意味で「農援隊」と命名。

会社概要

会社名
有限会社いち粒
フリガナ
ユウゲンカイシャイチリュウ
創業
平成4年8月28日
代表取締役
猪俣光代
事業案内
加工野菜、加工穀物の商品企画および販売
住所
〒948-0055 新潟県十日町市高山2-819-7
TEL
025-761-7700
FAX
025-761-7701
E-mail
nouentai@ichiryu-store.com
Website(Japanese)
https://www.ichiryu-nouentai.com
Website(English)
http://www.carrotjuice.jp
営業日
月曜日~金曜日
営業時間
9:00~18:00
定休日
土曜日・日曜日・祝日(左メニューのカレンダーをご覧ください)
決算月
7月
取引銀行
第四北越銀行 十日町中央支店/大光銀行 十日町支店
主要取引先及び販売先
ナチュラルハウス/三越伊勢丹/高島屋/紀ノ國屋/三浦屋/大丸松坂屋/ホテル椿山荘東京/国分/伊藤忠食品/三菱食品/TAC21/オーサワジャパン/G7ジャパンフードサービス/モリシゲ物産/カナカン/ジャポニックス/立花産業/風和商事/奥羽産業/アイ・ビー・エス/恒食/エイ・アンド・エイ/三王商会/極東ファディ/タテイシ通商

創業ストーリー

玄米製品販売会社としての始まり

1985年 玄米正食の素晴らしさを知る

玄米製品販売会社としての始まり

1985年の当時は、年々癌患者が増え人々も健康に対して関心が強くなりだした時代。たまたまマクロビオティックの本に出会い、玄米正食の素晴らしさを知る。
特に長崎で被爆した牧師が、玄米食のおかげで原爆病を発症することなく過したことに驚き、体内重金属さえも排出する玄米の力、などなど食物繊維のパワーは世の中の役に立つと信じ、玄米の普及に取組んだ。欧米の化成肥料が一般的に使用された当時だが、玄米は有機質肥料が基本。
そこで化学肥料に汚染された土地改良に5年を費やし、ようやく安全な玄米が収穫できるようになった。調理済で更に食べやすい玄米粥の開発に取り組み、製品第1号として発売を開始。徐々に売上を伸ばし会社を設立。

雪国農家の知恵が生かされた雪下人参

1991年11月 「ゲルソン療法」との出会い

雪国農家の知恵が生かされた雪下人参

次に手がけた事業は、やはりテーマは生物最大の敵「癌」。1991年11月に出会った本がドイツの博士が著した「ゲルソン療法」。その本から、人参の恐るべきパワー知り、人参を探す。 偶然にも、隣の村に日本を代表する人参の産地があることに気づく。そこは、ある大手メーカーが栽培委託していた畑が一面に広がる緩やかな高原地帯。 上流から農薬の被害を受けにくい絶好の立地だ。更に好都合にも前年その大手メーカーは、産地から撤退した。それまで大量に栽培した人参をどう捌くか、地域農民にとって大問題。 しかし、私にとっては絶好のタイミングで突如現れた大量の人参。更にそこには、雪国農家の知恵が活かされた、素晴らしい農法が潜んでいた。

玄米、人参ジュースで世界中の人々を健康に

1992年8月 有限会社いち粒 設立

玄米、人参ジュースで世界中の人々を健康に

平地から高原そして高山にかけて3mから5mも積もる雪。農民は雪解けの春、何も売る野菜がないはず。だが雪を天然の冷蔵庫として活用し、人参を地中にそのまま保存すれば、春先すぐに販売できる。 素晴らしい発案だ。そしてこの雪下人参は、なぜか美味しい。この事実は十数年後に新潟県の研究で明らかになる。それは越冬することにより、天然のアミノ酸が数倍に増えていることが解った。 この価値ある野菜を商品化するには、ジュースが最適と思い人参ミックスジュースを1992年に発売。 創業から2年後、全国ネットの「ごちそうさま(日本テレビ)」で放映され、普及のきっかけとなった。 この「玄米」と「人参ジュース」で世界中の人々の健康に貢献できることを切望する

創業者 猪俣 浩一

創業者 猪俣 浩一
この「玄米」と「人参ジュース」で世界中の人々の健康に貢献できることを切望する。